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第32回1000字小説バトル Entry6

マリア

出会いは、土砂降りの駅だった。
立ちつくす僕の隣にすっと君が来て、傘を差し出してこう言った。
「あの、これお使いください」
言葉に詰まる僕の手に傘を押し込むと、君はずぶぬれで雨の中に消えていった。

次の日から君の姿を探すことが僕の日課になった。
ある日君は泣いている子供に手をさしのべ、一緒に親を捜していた。
ある日君は老婆の大荷物を背負い、ホームまで一緒に歩いていた。
君のような人を今まで僕は知らない。その微笑みは慈愛に満ちて輝いている。
いや、微笑みばかりではない。困っている人には自分の事を省みず手をさしのべる。
見返りなど求めない無償の愛とは、まさに君のための言葉だ。
借りっぱなしの傘を抱えたまま、僕はただ君の姿を神々しい思いで見つめていた。

傘を口実にしたぎこちないデートの誘いを、君は優しく受けてくれた。
数回のデートを経て、君は僕の部屋に通うようになっていた。
すべての時間を共有していたくなって、
いつまでも君が僕のそばにいてくれればいいのにと心から願った。
しかし何故か君は長居をしてくれなかった。
猫でも飼ってるのかと聞いても、君はただ微笑むだけだった。

ある日僕は会社からまっすぐ君のアパートにむかった。
住所は聞いていたが、訪れるのは初めてだった。
チャイムを押すと、君が笑顔で出迎えた。
「あら、いらっしゃい、う〜ん・・・ちょっと待っててね」
君はそう言い、すっと戸を閉めて中に入ってしまった。
そしてなかなか出て来なかった。
僕はしびれを切らし、自分から中に入っていった。そこには・・・

まだ学生らしい若い男が居た。ただ居るのではなかった。
詰め襟の学生服の前をはだけ、そして・・・下半身は何も履いていなかった。
「おい!いったいここで何を・・・」僕は思わず怒りに声を震わせた。
「君は・・・僕という者がありながら・・・浮気なんて!!」
「浮気なんかじゃないわ。この子は私を求めていた。私はそれに応えた。それだけじゃないの」
「それが浮気じゃないのか!!」
「あら、あなたも私を求めた。私はそれに応えた。それだけよ」
君は相変わらず慈愛に満ちた微笑みをたたえていた。

ああそうか。そのときやっと僕は気がついた。
転んで泣いていた子供も大荷物の老婆もこの学生も僕も、
君にとってはただ手をさしのべるべき対象としての存在でしかない。
たしかに君は見返りを求めない無償の愛の持ち主だね。
神々しいまでに清らかな君の微笑み。
まさに聖母マリアだよ。

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