第33回1000字小説バトル Entry27
昨夜の雨が悲しみすらも融かし込んで流し去ったかの様である。
肌に突き刺さるほどの陽光に気怠るく汗が抵抗している。手に持ったハンカチは昨夜のままだ。何度も眉と鼻筋を撫で、口顎のシルエットを覚え込ませるように拭いた布切れ。
白い煙りが紺碧の空へ真直ぐに吸い込まれて伸びていく。
船出を遠く見送るような目をした叔父が、絞るような声で呟いた。
「風のない穏やかな日和になったぁ。煙に乗って魂が昇って行きよる」
裏手の雑木林からは、蝉の声が波のように重なりながら聞こえている。
祖父が死んで、一年か。
黒いネクタイをキリリと絞めた従兄弟が、戯けてVサインを送りながら話しかけてくる。
「ちょうど一年前かな、ばあちゃん『私もすぐ行きますけん』って言うてボイラーの鈕を押したとよ。あの一瞬だけはボケてなかったな」
先程、その鈕を押したのは私の父だった。静かな背中が歳を帯び無言で丸まって見え、とても哀しげに映っていた。
蝉の声がひとしきり響く中、途轍もない程のボイラーの轟音に、私は後ずさりしながら思った。祖母を完全に失くしてしまうんだと。かけがえのないものが消え去ってしまうんだと。
白い煙りを眺めながら親戚の者たちは、綺麗な輪をつくり何かの祭りの様に談笑を繰り返した。父の横顔を見遣ると、笑っているように深い欠伸を繰り返し涙を拭っていた。母は、遠くから悟ったような面持ちで私を見ていた。それはまるで菩薩の眼差しの様であった。
蝉が啼いている。
煙りが昇っていく。
泣き止まない声といっしょに。
帰り道、従兄弟がガムをくれた。20年振りに会えて良かったと言った。
発車のベルがホームに鳴り響いている。右ポケットの布切れにふと手を伸ばした。
「ガムのお礼に半分やるから、食うか」私は真顔で言ってみた。
「ええ歳こいて競争か」
従兄弟の目は昔のままだった。目の奥まで澄んでいて、海水浴の日焼けの顔を思い出した。
窓越しに手を振る従兄弟を見据えながら、ゆっくりと噛んでみた。
従兄弟が笑っている。泣き笑いの表情で戯けながら、噛んで見せている。窓一杯の赤橙の夕陽の縞にまかれた従兄弟が、涙伝う頬で「もう行け」とウインクした。
電車がガタンと動き始めた。
私は、ホームに長い尾をひく影法師を振り返りながら、残りを噛んでみた。
確かに、か細く響いている。
それは、従兄弟と私にだけはっきりと聞こえる祖母の音だった。