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第33回1000字小説バトル Entry34

春風

「もし明日死ぬかもしれないって考えてみてよ」
 そう言った彼女のことを唐突に思い出した。なぜ彼女が出ていったのかはいまだに分からない。その最後の言葉にしてみても、日々の生活の中で明日死ぬかもなんて考えはしない。子供の頃、学校の先生に悔いのない毎日を送れとよく言われたが、そういうことなのかもしれないとも思う。でも僕にはそのために何をすればいいのかは分からない。明日も朝がくればネクタイを締めて通勤電車に乗る。

 彼女が出ていってから二年。あの頃なんとなく寂しさに押し流されて拾ってきた猫がこんなに早く死ぬとは思っていなかった。二人で住むために借りた一軒屋も有り余ったスペースを埋めてくれていたクロはコタツ布団の上でぐったりしている。昼間に連れていった獣医には「手遅れですね。今夜が最期でしょう」と言われた。僕には「そうですか」としか言えなかった。

 変わった猫だったと思う。花が好きで猫のくせによく一緒に散歩に行き河川敷の野花の側でひなたぼっこをした。去年の春の日にはあんまりにゃーにゃー鳴くから、なんだろうとついていってみると満開の桜の木の下に連れていかれたこともある。ちょうど去年の今頃だ。もともと飼い猫だったのかもしれない。でも僕はたぶん、そんな人なつっこさや、美しい髪のような黒い毛並みに彼女の面影を見ていた気がする。

 クロは鳴きもせず、少し荒い息を立ててぐったりしている。あと何時間持つのか分からない。でも明日の今頃には僕はまたこの家の中で独りぼっちになっているのだろう。彼女の最後の言葉が耳の奥で小さく響く。僕にどうしろと言うのだろうか?それはきっと彼女の声を借りた僕自身からの問いかけ。

 いこうか。僕はクロに話し掛けた。猫がそんなことを喜ぶのかどうかは正直分からない。でも喜んでくれるといいと思う。僕はクロを抱きかかえ春の暖かい夜に歩き出した。河川敷を歩くと風が暖かい。そんな風に包まれてクロの息遣いも少し軽くなった気がする。

 去年も来た桜の木の下に腰をおろす。自由に生きる猫であるクロの為に何かしたことはあまりなかった。ただ今は、クロが桜を見たがっているかどうかなんて分からなかったけど、ただそうしてあげたいと強く思った。
 クロの首が少し動いた。そして小さくにゃあと鳴いた。勝手に涙が流れてきた。

 冷たくなっていくクロをしばらく抱いた後で、止まらない涙を流しながら桜の木の下にクロを埋めた。

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