第33回1000字小説バトル Entry4
青海原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
昔、別れの時に浜辺でこういう歌を詠んだ男がいた。
情景を書き出すと、
“別れの時がきた。夜に密かに街を出て、広大な青海原を目の前にする。もう、これで二度と会えないのだと、感慨の念がこみ上げ、漠然とした思いになる。ふと振り返ると、今まで世話になった春日の町が見え、その向こうの山には、いつしか月が出ていた。”
最初この歌を読んだとき、“ああ、素敵な歌だな”と思ってかなり興味を持ったものだが、ちゃんと本歌があって、私の解釈の仕方とはかなり食い違っていたので、とてもがっかりしたことがある。
「お別れだね。」
「……ああ……。」
プラットホームに、耳の中で反復するチャイムの音が鳴り響いた。私達は、電車を目の前にして動けずにいた。
足を一歩前に踏み出すことも、別れの挨拶を言うきっかけを掴むこともできずにただ、アタッシュケースの下に立ち並ぶ黄色いラインの凹凸を眺めていた。
こんな時、日本人の決断力の弱さが非難される。
”冬”を耐え切れば次には必ず春がくるという、日本列島特有の気候がその英断力の無さを助長させた。
私達は、互いに暗い顔でうつむきながら、この辛い別れの時をただじっと耐えている。
チャイムが鳴り終わる前だったか、後だったのか。その時、プラットホームから張りのある大阪弁のおばちゃんの声が聞こえてきた。
“早う乗り、閉まるよ。”
その時、私は思った。なんて風流な人なんだろう。 別れをいつまでも惜しむ者が風流を解さない人に促され、それを契機に別れるという現象は、伊勢物語にもあった。相手の気持ちを敬う日本人にとって、正に理想的な離別の仕方だったのだ。
私は、慌ててドアの間に踏み込んだ。
電車の中は、空いていた。重いアタッシュケースを引き上げると、彼女はドアまで近づいてきた。
「てっちゃん。」
「何?」
彼女は、綺麗な笑顔を浮かべていた。
「バイバイ。」
「……バイバイ。」
ドアが閉まる。彼女が手を振る。風景が回り出す。私は、それらを一連の活動写真のように見ていた。
……電車が駅の構内を出ると、その言葉を思い返した。
間違い無かった。あれは、彼女が滅多に使わない母国語で、僕を送り出してくれたものだったのだ。
“早う乗り”胸のつぶるる言葉かな
私は窓に寄りかかり、呟いた。駅はもう目では追えない。電車は、まっすぐに大阪を出た。