第33回1000字小説バトル Entry7
濃紺の闇が深々と少女の意識を浸食していく。何処からか今にも消えてしまいそうな光が射し、微睡みから引きずり出された少女は渋々瞼を開いた。薄闇に包まれた自室、それは目を閉じる前と何一つ変わらない風景だった。しかし、そこには目を閉じる前の静寂はなく、誰かの声がちいさく漏れ聞こえてきていた。隣室に寝ている子供への配慮なのだろう、必要以上に潜められた声は布団の中からは聞き取れない。気になって眼も冴えてしまった少女はベットから下りて、木戸の向こうに耳を澄ました。男と女のヒソヒソ話。女の方は、聴き覚えがある。彼女には一番身近で最も愛すべき人。(…お母さん?)少女が疑問に思ったのは、その女性が明らかに焦燥してたことだった。少女が知る限り母は何かに恐れをなした事はない。しかし紛れもなくそれは母の声であった。
「虫毒にやられたって? うちの人が」
引き絞ってやっと出した様な母の声色。夫の訃報に顔を曇らせる彼女の顔が見えた気がした。
「サリア女師の診療所だ。早く、行ってやってくれ」
静かで冷静な男の声。冷たい言い方に、釈然としないものを感じたが、当時の彼女にはこの事態を理解するのは難しかっただろう。
魔虫の毒の症状も知らなかったわけで、知っていたなら男の態度にも納得していただろう。(慌てたり、不安になる必要もない程の症状のおぞましさを知っていれば…)
「なんで、なんで虫毒なんて浴びたの? あの人」
「明日はカシュちゃんの昇殿式だろう? あいつ、そのために日割り草の葉を採りに行ったんだ。魔虫の出ない山を選んで、俺も行ったんだが、それでも虫は出た。俺には目もくれずにボヌーばかり…」
母はたまらず泣き出してしまったようだ。嗚咽が壁越しに伝わる。急に怖くなって、カシュは木戸を開けようとして、やめた。母の元へ行きたい。いつものように
「大丈夫だよ」
と言ってもらうのだ。優しく抱いて、頭を撫でてもらいたいのに、今の母にそれを願って良いものか、子供ながらに、子供だからこそ彼女には判断がつかなかった。木戸を少しだけ開けて、彼女は隣の部屋を―母を―覗き込んだ。泣いている。
「…済まない
…お母さん?」
うずくまる母の肩に腕を回している見知らぬ男。その男の言葉と同時に、少女カシュは母を呼んだ。当時の彼女にはこの事態を理解するのは難しかっただろう。子供ながらに、子供だからこそ彼女には
判断がつかなかったのだ。