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第35回1000字小説バトル Entry23

事なかれ主義でもなし

 今俺を殴っているこの男は何が楽しいのだろうか。
痛い。口の中を切ったようだ。顔を殴るなんて、役者(志望)に対して失礼な奴だ。
さらに最悪なのは雨が降っていること。藤枝さんに借りたスーツが濡れてしまった。あの人金に汚いからなぁ。クリーニング代は俺の責任として、慰謝料請求されても払えんぞ、いいかげん。
しかして、当面の問題は俺を殴っているこの男だ。
「てめぇ、ふざけんな!」
と、景気良くぶん殴ってくれたもんだ。
中年のオッサンがするカツアゲはふざけていないとでも云うのだろうか。
俺も俺で、
「何歳児だてめぇ、他人から暴力で金巻き上げようなんざ、五歳児でもしねぇだろ!」
なんて、火に油を注ぐことはなかった。
素直に金を出せば済むだ筈だった。それがつい口を滑らせて、ごみ山へと殴り倒される結果となってしまった。 
理不尽な暴力というのは実際されてみると、なぜかせつなくなるものらしい。俺の襟首をつかんでいるこのオッサンに、俺は哀れみすら感じる。正直な気持ちだ、かわいそうに。
雨は当分やみそうにない。オッサンは俺を持ち上げると、路地裏まで運び込んだ。はなれたところから見ていたカップルがなにやら口論していたから、人目が気になったのだろう。
「このクソガキィ」
吠えながら腹を蹴りつけてきた。
おまけだ、と顔面も蹴り上げる。
痛い。鼻血かぁ。鼻血なんていつぶりだ?
妙に冷静な自分が怖い。
黙って殴られ続けていれば、やがて疲れて帰るだろう。それまで我慢していればいい。
人を傷つけて、何が楽しいんだろう。
怖くはないのか? 人のある程度人生に悪い形で介入することが。暴力では、不幸せをまぬがれることは出来ないのに。
「なんだその目はよぉ」
苛立ちと、畏怖の混ざった表情が目に留まった。
さっきまで、怒りに我を忘れていた人間に、こんな顔をさせる俺の目とはどんなものだったのか。見たくもないが。
それより、謀らずもオッサンと見詰め合ってしまったこの状況を、どうにかしてもらいたい。
頭はすっきりしていて、いや、傷の痛みで脳が麻痺していたのかもしれないが、俺は、何かを云おうとしていた。
「あんた、幸せか?」
怯えた子供のような顔があった。俺を掴み上げていた両腕がプルプル震えて、叱られた猫よろしく、その言葉から逃げるように、わぁわぁと喚きながらオッサンは雨の中へと消えていった。
残された俺は雨に打たれながら、血と泥に汚れたスーツの弁償代に頭を悩まさせていた。

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