第35回1000字小説バトル Entry41
よお、来てやったぜ。ああ、誰にも見られちゃいない。こんな夜中に誰も起きちゃいないさ。お、その酒を一杯いただくぞ……ふー、やれやれ。さてと、急いでくれよ。夜明けにはコロッセオに行かねばならん。ベテラン剣闘士様は忙しいんだ。
それにしてもアンタ、石像のモデルごときによくこんな大金を出すな。ふむ、確かに近頃は物騒だ。行方知れずになる奴が妙に多い。子供だけならまだしも軍人まで消えたとあれば、普通だったら怖気づく。金でもはずまなけりゃ、夜中に出歩く奴なんかいないよな。
俺か? 俺はそんな腰抜けじゃない。それに、とにかく金が欲しいんだ。今は奴隷の身だが、金つんで自由になって、軍隊に入るんだ。そして武勲で名を挙げるのよ。へ、笑ってやがるな。馬鹿にするもんじゃない。もし俺が死んでも、英雄になれば永遠に語り継がれる。
トロイ戦争のギリシアの武将、アキレウスを知ってるか。あいつは神の子だという話になってはいるが、そんなのは後からつけた伝説だ。アキレウスの鬼のような戦い振りが、奴を神の子孫に仕立て上げたってワケさ。俺もそんな風に名を残したいんだ。
命なんざ儚いものよ。どんな風に生きようが、人はいつか寿命が尽きて死ぬ。だがな、名前は死なん。語り継ぐ奴がいる限り、伝説は不滅だ。どうだい。この世にこれ以上の栄光があるんなら、教えて欲しいもんだね。
さて、仕事に掛かろうじゃないか。なに、蛇を背負った男の像を作る? どこだその蛇は。ああ、こっちの部屋か。……これはまたえらい大蛇だな。これを背――なんだ巻きついてきやがる――くそっ力が入らねぇ――さっきの酒に何か入れやがったな! てめえ! おい! 嵌めたな畜生! この蛇をどうにか……くっ首に巻き……放せ……くる…………グッ……ガ……ぁ………………
こちらが当美術館の至宝、ラオコーン像でございます。この大理石像は、トロイ戦争でギリシアに味方したアテネ神が、木馬にギリシア兵が潜んでいると見抜いたトロイの神官ラオコーンと二人の息子を、大蛇を遣わして絞め殺した、というトロイの木馬の神話を題材としています。ご覧下さい。大蛇に締め上げられる親子の死の間際の苦悶する表情。リアルな身体表現。この像は紀元前一世紀頃の作品とされていますが、二千年もの時を経てもなお我らを魅了してやみません。ラオコーン像は、人類の偉大な文化遺産として、永遠に受け継がれて行くことでしょう。