第35回1000字小説バトル Entry5
「あっ」思わずそこに乗り込んだ人たちの第一声が予測できた。
なぜなら私がそうであったからだ。
21時48分、会社近くの駅から発車する電車に私は乗り込んだ。
仕事を終え同僚たちと軽く酒を交わしたあとの帰り、私はこの時間帯だと必ずこの電車の3両目に乗る。特に理由はない。ただもう習慣としかいいようがなかった。だいたい電車などはいつのまにか乗る場所が決まっている。
人間の本能なのか、それはよくわからないが。
ホームに電車が滑り込んでくる。
ドアが開き私はいつものように右足から乗り込んだ。これも習慣だ。
今日も先日と同じような顔ぶれだ。
熱心に読書にふけるOLらしき女性、新聞を小さく折りたたんで見るサラリーマン風の男性。
しかし今日はいつもと違っていた。
空いている座席があるのに何故か立っているキレイな顔立ちをした少年。
年齢は14、5歳といったところだろうか、きっと塾の帰りかもしれない。
いや、その少年がいつもと「違う」わけではない。
その少年はたびたびこの電車で一緒になったことがある。
一緒といっても別に言葉を交わすわけではないが。
いつもと「違う」のは、その少年に1人の男がしつこく絡んでいたからだ。
よっぱらいだ。
私と同じく仕事帰りに酒を飲んだであろう50才前後の男だ。
その男はかなり泥酔して立っている少年に近づきむやみに挑発したりする。
「おまえ、女か? 男か? ちょっと見せてみろや」といって少年のズボンに手をかけようとする。なんて低レベルな。その光景は次の駅に着くまで続いた。
しかし車内の人間は「そこ」に注目こそすれ、誰も「それ」を言おうとはしなかった。少年は抵抗をしていたがそのうちだんだんと涙目になっていった。
私は意を決してきっとこの中の人たちが言いたくても言えないであっただろう、ひと言を言うために立ち上がる。
「たいへん失礼ですが」
男は「なんだ?」といった顔つきで私のほうに顔を向け、私は「それ」を満面の笑みで言い放った。
「ヅラがヅレていますよ。」
男はとっさに両手で頭部をおさえるが、それは余計にヅレた。
他の乗客は肩を震わせている。少年にも笑みが戻る。
男の顔があきらかに赤から青、そしてまた赤へとかわっていくのがわかった。
「まもなくドアが閉まります」とアナウンスが聞こえた。
男は慌ててホームに出ようとしたが、乗り込んでくる人たちとぶつかりおさえていたヅラが落ち、男はホームへそして車内には笑いとヅラが残された。