第36回1000字小説バトル Entry45
てるてる坊主を作ったのは、小さいときに一度きりだ。単身赴任の父が久しぶりに帰ってきて、動物園に行こう、と言うから、私はすごく嬉しくて、楽しみで、てるてる坊主を作った。
次の朝、目が覚めると雨の音が聞こえた。かわりに映画館に行った。何の映画だったかは、覚えていない。
結婚を機に会社を辞めたのは、私の意思ではなくて夫の意思だった。子供ができるまでは、という私の訴えに首を振って、彼は彼のこだわりを押し通した。
子供もいない主婦というのは考えていた以上に暇で、時間をもてあました私は、いつの間にかそれなりの読書家になっていた。そのうち自分でも書きたくなってきて、小説教室に通ってみることにした。
主婦やおじいさんに混じって一人だけ学生さんがいた。彼はいちばん年が近いからだろう、気さくに話しかけてきて、私は私で新鮮さを感じて、悪い気はせず、しぜんと仲良くなっていった。
「パンダ見たくないですか、パンダ」
と彼が言ってきて、そういえばじかにパンダを見たことがないということに思いあたった。
「動物園、動物園行きましょうよ」
頭の中がパンダと動物園でいっぱいになった私が、いきなりですけど明日はどうでしょう天気もよさそうだし、という彼の言葉をぼんやりと受け止めて、なにもないけど、と答えると彼は、じゃあ十時に、十時に駅の改札で待ってます、と言って、ぼんやりしている私を残して去っていった。
ティッシュを一枚丸めてそれに白い布をかぶせたら、ずいぶんと頭の小さいてるてる坊主ができあがってしまった。ティッシュを何枚も取って作り直してみたらそれなりのものになって、私はそこにパンダの顔を描いてカバンの中にしまっておいた。
待っていた彼に挨拶をすると、
「雨、降っちゃいましたね」
と彼は笑った。
「どうしましょう、動物園」
「雨だから、あの」
「そう、ですよね」
と、彼はちょっと考えて、
「じゃあ、映画でも観に行きませんか?」
私は呼吸が落ち着くのを待って、ごめんなさい、と言った。彼はしばらく私を見たり、電車に目をやったり、雨の様子を眺めたりしていて、それから、
「それじゃ、また明日、教室で」
と言って、傘を広げて、走っていった。途中で振り返って、笑顔を見せた。
雨の音がからだぜんたいに染み渡ってきて、そのまま地面に溶けてしまいそうな気がした。かばんの中のてるてる坊主をぎゅっとつかんで、教室はもうやめよう、と思った。