第37回1000字小説バトル Entry22
施設から少年が抜け出すのはいつだって雨の日で、行き先はもう神様の居ない神社だった。
雨の中に立つのは苦痛ではなかった。基より世界は自分を刺す鋭いナイフばかりで出来て居るから、熱を出す代償位払うのは惜しく無い。だってそれさえすれば雨は彼に欲しいものをくれるのだ。
耳元の轟音、意味をなくして煙る色彩、足下で跳ねる泥と血(彼は泥の中には血が混じっていると言う気味の悪い昔話を雨の度正確に反芻した)、どれも世界と自分との境界を曖昧にしてくれる。自分が自分であるという要りもしないのに押し付けられた権利は雨の中で暫時消滅する。俺は多分間違って居る。目を閉じる。けれどそんな事すら考えるのは時々とても疲れるのだ。
ぐう、と熱を持った肺を鳴らして呼吸した。開いた目には一輪の青い花が咲いている。
「しずお」
花の隣で声がした。そのまま顔も動かさずに立っていると、気配は曖昧な視覚の中少年の視野を斜に横切る。
「ここに置くから」
屋根の下に置かれるのはビニールに包まれた白いタオルだ。
「先生。俺は要らない」
「静生」
「捨てちまうよ」
その人は少し立ち尽くしてから、畳んだままのビニール傘を湿った板に立て掛けさせた。
「簡単な事なんだよ。雨が降ったら傘をさしなさい」
「……」
「そうすれば、何もお前を凍えさせる事は出来ない」
少年は皆の言う事が理解出来ない。完璧な分節で発話されるそれは、少年にとってプラスチックを投げ付けられる程度の意味しか為しはしないのだ。
けれど、この人のする事だけは静生の中に落ちる。
何も言わないでひっそりタオルを置いて行く姿は、正しいか正しくないとかそんな答えを必要とせず、只、少年を切り刻まない唯一のものだったのだ。
彼が立ち去った後、静生は境内に近寄った。ビニールとタオルの下に握り飯が転がっている。静生はその馬鹿馬鹿しい程白い様を見てからラップを剥いだ。そして自分で何をしているか判らない内に、泥と血の中に叩き付けた。
泣きながら彼は思う。多分彼は昨日と同じ様に、そうやって握り飯を汚し続ける。そしてこうも思う。例えそれを知っていたとしても、あの人は持って来る事を止めないだろう。
多分俺達はどうしようもなく間違っている。
微熱を帯びた雨の向こうに、花が変わらず咲いていた。
救われたいのかも判然としない少年は、皆が居る完璧な世界でも俺の世界と同じ様に花は美しいだろうか、と、思った。