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第37回1000字小説バトル Entry29

The ides of march

 掌が汗ばむ。懐に隠し持った短剣の感触が冷たい。
 作り笑いを浮かべ、私はゆっくりとあなたに歩み寄る。
 雨上がりの風が、議事堂前の回廊を吹き抜ける。
 
 あなたは女たらしだ。処女といい、人妻といい、これはと思う女はすべてモノにしてきた。私の母もあなたの情人だった。感情の赴くまま、奔放に生きる母を私は憎んだ。子供の頃の私が、あなた方二人の醜聞によって、どれだけ肩身の狭い思いをしたことか。
 あなたは傲慢な人だ。変革の名の下に我々から自由を奪い、専制者として世界に君臨しようとしている。元老院をないがしろにし、ローマの尊厳を破壊しようとしている。私は奴隷の境遇には耐えられぬ。意志を失った者はもはや人間にあらず。卑屈な笑みと媚びに生きて、なにが人間だ!   
 あなたの野心は明らかだ。先日の競技大会で、アントニウスから三度王冠を捧げられたあなたは、三度ともそれを退けたが、ずいぶんと物欲しそうな顔をしていた。終身独裁官に就任し、専権を欲しいままにするあなたは、さらに王位まで望もうというのか。
 絶大なる権力は、それを手にした者を狂わせ、暴虐非道に走らせる。あなたはいわばマムシの卵、ひとたび孵化した暁には、その毒牙をもって人々を傷つけるだろう。
 もはや取るべき道はただ一つ、マムシは卵のうちに殺さねばならぬ。
 
 ――本当のところ、私はあなたの事が嫌いではない。あなたは、いつだって私にやさしかった。愛人の子である私に、惜しみない愛情を注いでくれた。ギリシャに留学する際には、借金までして学資を出してくれた。内乱の際、ポンペイウスに加担してあなたに刃を向けた時でさえ、敗者となった私を許してくれた。
 私はあなたの中に父親を見ていた。憎み、反発し、甘え、そして、あなたのやさしさに涙した。
 相争う二つの感情が、私の胸をさいなむ。私は公人としてあなたを憎み、私人としてあなたを愛している。ああ、出来ることなら、あなたの野心だけを殺して血は流したくない!   
 だが、あなたは道を踏み外してしまった。あなたを王に――それだけは断じて許せぬ! 
 祖国のため、自由のために、私はあなたへの愛を捨てる。否、愛しているからこそ、私はこの手であなたを倒す。あなたが暴君となり、歴史に汚名を残すその前に――。
     
 やがて、回廊に悲痛な叫びが響きわたる。
「ブルータス、お前もか!」

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