第38回1000字小説バトル Entry23
そろそろ店じまいを、と店主が考えたときだった。暗がりを燈す赤提灯の暖簾を三人の男がくぐった。
「親父、まだいいか?」
「いらっしゃい」
言葉少なに迎え入れる。
身なりの良い青年、といった風情の三人だ。どこかで飲んだ帰りなのだろう。血色
が良い顔でカウンターに並ぶ男達はまだ飲み足りないようだった。
熱燗とおでんの具材をそれぞれ注文してしばらく談笑していた。ふと、男の一人が
突然言う。
「な、ここには兎の肉ってない?」
「ないですね」
おでんに兎の肉?どこかの郷土料理だろうか。連れの一人も不思議に思ったよう
だ。
「え?兎の肉ってあんの?美味いのか?」
「知らねえけどさ、昔歌ってたじゃん。♪兎おいし……とかって。だから食ってみた
かったんだよ」
「そう言えば……。俺も食ったこと無いけどきっと美味いんだろうな。歌になるくら
いだから」
それは「故郷」の歌詞の一部分だ。だが、兎は「美味し」のではなく「追いし」だ
ったのではないだろうか、と店主は思ったが沈黙を守った。客商売の基本である。
「そういうことならオレにもずっと疑問に思ってたことがある」
「なんだよ」
「卒業式の定番で「仰げば尊し」ってあるだろ?あれの「わがしの恩」ってのはどう
いう意味なんだ?」
「なんだ、お前知らないのか」
男の一人が自慢気に解説をした。
「あれはな、卒業式で配られる紅白饅頭のことだ。この饅頭をやった恩を忘れるなっ
て意味さ」
「でも俺、饅頭いらないから恩も感じたくないよ」
「だよな」
一同頷いている。
「和菓子」じゃなくて「我が師」つまり先生を意味するということを親父は知って
いたが、敢えて口を閉ざしていた。
「それなら国歌だって意味不明さ。「さざれ石のいわお」って、あれ「君が代」=
「さざれ石さん家の巌君」って事なのか?」
ここでは一同首をかしげた。
「でも、苔が生えるくらい辛気臭い奴なんだろうさ」
酔払いの会話は結論が出ないことが多い。この場も結局笑い飛ばされてしまった。
「さざれ石の巌となりて」を「大岩が細石となるほどの長い時間」と学校で習った
事のある人物は、ここでも接客マナーの基本に忠実だった。
それからも暫くして酒も皿もきれいに片付き始めたころ、会話も途切れそろそろ引
き上げようと三人は荷物を手にした。それぞれ暖簾の外にふらりと立ち上がる。
店主は最後に声をかけた。
「お客さん、おあいそ」
すると暖簾の下から赤ら顔の笑顔が三つ返ってきた。