第38回1000字小説バトル Entry5
いつもこうなのよ」
そう言ってあたしはしゃがみ込んだ。
「そうか」
その男は壁にもたれたまま、煙草を取り出した。
「嫌になってしまうわ。あたし、傘は六本も持ってるのよ」
雨が降っていた。
「いつもこう。こうやって夜中に家を出るでしょ。するといつの間にか雨が降ってて
さ。さっきまであんなに晴れてたのに。あたし、まともに傘を使えた時が無いわ」
なんだか初めて会った人に対する話し方じゃ無い気がする。そして、別に気にする
事も無いな、とも思う。これは雨宿りなのだから。あたし達は雨宿りをしているのだ
から。
「そうか」
男はそう答えて煙草に火を付けた。
男は青い服を着ていた。そして青い爪をしていた。青い目。青い唇。銀色の指輪を
右手の小指にだけはめている青い指先。多分全て錯覚だった。常夜灯のオレンジが、
あたし達の青を目立たせているだけなのだ。
九月の雨の夜は寒かった。あたし達は少し震えた。だから話をした。単純な話ばか
りだった。自殺の話をした。つまり価値観の話だった。彼は三回試したと言った。あ
たしは二回、その内一回は心中だったと話した。三回と二回の差は大きいと思う。あ
たしはそう言った。どうだろうね。彼はそう答えた。あたしも彼もレンタルビデオ屋
の帰りで、ビデオテープの入った青いビニールバッグを持っていたけれど、二人とも
恥ずかしそうにそれを後に隠し持っているだけだった。映画の話はしなかった。
見上げたビルを、雨が、幻のように煙らせていた。街には焦点を会わせる所がたく
さんあって良いと思う。あたし達はあのビルが幻でも何も困らないのだ。
しゃがみ込んだアスファルトが冷たかった。あたし達が落とした水滴が、地面に奇
妙な模様を作っていた。何にでも解釈できそうな模様だった。そこに何かを見いだせ
そうな気がしたけれど、あたしは疲れていたから視線を静かにビルに戻した。
「雨、やまないね」
「そうだね。でもやまない雨は無いよ」
彼はそう言って、また煙草を取り出した。
そうだろうか、とあたしは思った。やまない雨は無いのだろうか。もっと言えば、
今まで雨はやんだ事があったのだろうか。
思い出せなかった。
「そうですね」
あたしは丁寧語でそう答えて、曖昧に笑った。
時計を見ると、午前四時の五分前だった。
雨はいつまでも降り続いていた。雨音は静かなやり方で、人間などではおよそ想像
もできないくらい静かなやり方で、街の全てを埋めていた。