第39回1000字小説バトル Entry26
樹の根から見上げていくと、丸々とした、今にもなにかが零れ落ちそうな蕾がある。
きっとその中には、素晴らしく甘い雫のようなものが溜まっているのだろうと少女は思う。そのことを男に告げると、男はにやりとニヒリズムの充満した薄笑みを浮かべる。この笑みが決して悪意を抱いたものではないということを、少女は知っている。
この蕾には、花びらが幾重にも幾重にも詰まっているのだよ
男は言った。少女はそれを理解しながらも、未だ甘い汁が詰まっているのだという妄想を拭えないでいる。いつかどこかで、桜の樹の下には屍体が埋まっているのだという、どうにも気持ちの悪い話を聞いたことがあった。その屍体は、その体のどこからか、てらてらと光る透明な液を垂れ流しているのだと。そして、桜は、その屍体や液やらをずるずると吸い上げ、その美しさを保っているのだと。
たまらなく甘い蜜を蕾の中に隠していても、なんの不思議もないではないか、そう思った。
二人は、星桜の根元へ腰掛ける。
少女が眠りにつくまでの間、男は不思議な話をし続けた。大きな葉と、小さな樹の話。一生を土の中で暮らした人間の話。
少女が起きても辺りは夜のままだった。男に訊ねると、星桜の周りには、数年に一度しか朝が訪れないのだという。それでいて、昼もなく、夕方もなく、僅かな朝を過ぎた後、すぐに夜へ戻ってしまうのだと。
そして、その朝が訪れた瞬間だけ、星桜は咲くのだという。
何故と問うても男は答えなかった。
私は、一度だけこの星桜が咲く瞬間を見たことがあるのだよ
何と説明すれば良いかわからない 口で説明できる美しさならば、普通の桜と変わらないからだ すぅっと、しかしゆっくりと蕾が開き、朝日を浴びて露がきらめく お前の言う通り、本当は、蕾の中は雫で満たされているのだ 先程まではそれを、正直には言えない理由があった しかし、それは今はもうない
星桜は、間も無く咲くのだ
蕾が開くと、甘い、べとべとした汁が徐々に花びらを形作っていく それは水晶のような一片のくもりもない花びらだ そして、すぐに散っていく
上に、散っていくのだ!
私はこの光景を見たとき、唖然とした
なにかわからない、うやむやとしたキラキラが空へと舞い上がっていくのだ
そして、昇りきった花びらは星のように輝きだし、そしてそのうち本当の星になるのだよ
これが星桜という名の由来だ
地平線が赤く染まり始めた。