第17回3000字小説バトル Entry16
ぱああああん!
キャッチャーがボールを捉える音が、響き渡る。
(見てるだけで痛えな)
桑島は自分の手を揉みほぐす。
「桑島、本橋に打てると思うか?」
監督がバッターボックスに視線を向けたまま、桑島伸吾に尋ねる。
「本橋さんは、パワーがありませんからね。バントで送るのが最上じゃ?」
「バントか?」
皮肉っぽく監督が呟く。
「――あ」
ネクストバッターズサークルでは、東海林透が静かに素振りをしていた。
「監督、東海林さんには、打たせられないんですか」
「今日はまだ志津麻ジャパンの広告が映ってないからな」
右翼方向にある広告を、監督が親指で指す。フェンスの下に白いロゴが描かれていた。
「あっちへ飛ばすだけでしょう? なんでフライにしなけりゃならないんです?」
「余計な事は考えんでいい」
かこっ!
くぐもった打球音が響いた。
――本橋がベンチに戻り、バッターボックスに東海林が入る。
一球目。
ぼこっ。
ファール。
「監督、勝ちたくないんですか?」
「うちの球団のスポンサー料は、東海林さんがいる事を前提に決められている。テレビへの露出時間まで設定されてな」
監督はぐっと歯を噛みしめていた。
「あの人の打席は、スポンサーの意向に支配された、治外法権領域なんだよ」
きんっ!
澄み切った音が、球場に響いた。
打球は大きな弧を描き、ゆっくりと右翼手のグラブに収まった。志津麻ジャパンの広告が、丁度テレビに映る位置で。
「そうでなけりゃ、誰があんなの使うか」
球場近くの焼き肉屋で、桑島と数名の選手たちが七輪を囲む。
「ったく、何なんだあいつ、野球を何だと思ってやがんだ」
桑島は、カルビを三、四枚まとめて焼き網に乗せる。
じゅうぅぅぅぅぅぅ……。
「もうあの人、二十年は同じ事やってるぞ」
本橋が生焼けの肉でも構わずに端から食べていく。
網の上で焦げていく付け合わせのシシトウを、桑島がひっくり返す。火に当たっていた部分は真っ黒だった。
「ったくプロに入る前は、あんな選手がいるなんて思わなかったぜ」
ビールのジョッキに付いた水滴を、桑島は手で拭う。
本橋は網の上で皿をひっくり返し、カルビをぶちまける。
ぶじゅぅぅぅううううう……。
「まともに振るのは一日一打席だけ、後はみーんな広告に向けてゴロだのフライだのばっかし」
「監督は『同じ選手だと思うな』って言ってますけどね」
皮肉っぽく笑って、若い選手がビールを飲み干す。
「一秒でも早く引退して欲しいもんですね」
「そしたらまた次が来たりしてな」
「次なんて、監督に直談判してでも入れさせねえって」
桑島はビールを空けて言い切る。
「おお、桑島凄えなぁ、流石は司令塔」
「立派ですよ、桑島さん!」
「わははは、伊達や酔狂で首位打者なわけじゃねえぜ」
桑島はシシトウをひょいとつまんで口に放り込んだ。
「……からい」
翌々日、移動のバスの待ち合わせ場所に、桑島たちは集まっていた。
「遅れて、申し訳ありません」
遅れて来た東海林がバスに乗り込んで来た。
「いや――ん? 東海林さん、肩をどうかしたか?」
監督が見とがめる。
「暴漢に襲われまして」
東海林の右肩は、包帯で固められていた。
「暴漢?」
「大丈夫です、来た以上は打ちます」
「警察には、届けたのか?」
彼は首を横に振る。
「フロントに止められました」
「そうか、ならいいんだ」
監督はほっとした顔で何度も頷く。
「怪我、か」
(ゆっくり休めばいいのに。打率一割七分の右翼手が休んだところで、誰も気にしねえぜ)
バスの窓越しに見ていた桑島は、鼻で笑う。
「災難だな」
本橋の意味ありげな笑みに、桑名は気付かなかった。
二回表、東海林の打順が廻ってきた。
東海林は二球ほど振らず、ボールとストライクのランプが一つづつ点く。
そして第三球目。
かんっ!
(!? ……いや、ファールか)
打球は右に逸れて飛んで観客席に飛び込んだ。
(今の球は普通に打ってりゃ、ヒットぐらいにはなってるぞ)
次もファール。その次もファール。
「怪我のせいか?」
桑島が呟いた時。
きんっ!
高く打ち上げられたボールは、投手の頭上を越え、どんどん伸びていく。
(ホームラン? いや、角度が高すぎる、あれじゃあ飛距離が足りない――)
ボールはホームランぎりぎり――スコアボードの下部分に表示された自動車の広告の前で――中堅手のグラブに収まった。
(ま、まさか。絶好球だから打たずにはいられなかった、そうに決まってる)
バットを引きずるようにしてベンチに戻って来た東海林は、肩に温湿布を当てる。
「残念だったな、東海林」
本橋が笑う。
「後五メートル飛んでいれば、ホームランだったのに」
だが、東海林は何も言わなかった。
「本当に惜しかった――」
桑島は彼の横顔を見て、言葉を切った。東海林に無念はなかった。うっすらと微笑んでさえいた。
(こいつ、本当に!)
がたっ。
桑島は勢い良く立ち上がった。
ベンチにいた他の選手たちの視線が一瞬だけ彼に向く。
「……東海林さん、ちょっと」
東海林にぼそりと耳打ちして、桑島はベンチの奥のロッカールームへ入った。
「――なんです?」
「どういうつもりだ」
「どういう?」
「わざと飛ばさなかったよな? ホームランに出来たよな? そんな怪我を圧してフライかよ!」
桑島は拳を握ったままで怒鳴る。
「あんたは野球を……野球を一体何だと思って!」
すっと東海林は桑島の手を離させた。
「――四.二一秒」
「え?」
「ホームランボールの滞空時間の平均です」
東海林は怪我をした右肩をさする。
「そして、さっきの私のフライの滞空時間は、七秒」
彼は微笑んだ。お気に入りの玩具を褒められた子供のように。
「落下地点も完璧。きちんと外野手がキャッチしたから、カメラもすぐには切り替わらなかったでしょう」
(こいつ……)
「最高の打球でしたよ」
満足げに微笑んで、東海林はロッカールームから出て行った。
(何故……)
「桑島君」
入れ違いに入って来たのは、本橋だった。
「君も耐えられなくなったか。あいつに」
彼は桑島の肩をぽんと叩く。
「そうだ、みんな東海林が消えて欲しいと願ってる。スポンサーがなんだ、広告収入が多少減ったところで、球団が潰れるわけじゃない」
桑島は無言でうつむく。
「東海林には今度こそ天誅が下るべきなんだ」
本橋が彼の顔を覗き込む。
「協力してくれるよな? なあに、監督だって野球人だ、大目に見てくれるさ」
「協――力?」
「あいつももう歳だ。ちょっと骨折でもさせれば再起不能さ」
「あんたが……やったのか?」
「ハハハ、誘わなくて悪かった」
「あんた!」
ぎっと桑島は本橋を睨む。
「な、なんだ、この期に及んで綺麗事か? お前だって東海林が嫌いだろう?」
「ああ、嫌いだ」
桑島の声は震えていた。
「同じ事を要求されたら、俺なら球団を去る」
桑島は、真っ直ぐ本橋の顔を指さす。
「だがあんたのした事は、それにも劣る!」
『三番、キャッチャー、桑島』
バッターボックスに立った桑島は、スタジアムのあらゆる場所にある広告を睨み付けた。
それから彼はゆっくりとバットを差し上げた。
バットの先は、スコアボードの更に上。場外。
歓声は熱狂的な大歓声となり、桑島の耳を叩く。
「見せ場をさらうのは野球と、俺は信じる」
投手が振りかぶって――投げる。
「さあ――」
白いボールの縫い目が、桑島にははっきりと見えた。
「宣戦布告だ!」