第17回3000字小説バトル Entry19
「おい、ちょっとどういうことだよ?」
「いいじゃない。とっても綺麗よ」
全く困ったことになった。本人には悪いけど、正直言ってうだつのあがらないという言葉がしっくりきてしまう中年の立原さんと二人の夜勤は苦痛だけど、事務で働いている恋人の香織が一緒にいてくれるのなら悪くないはずだった。香織の分の賃金までは出ないけど会社にはきちんとした許可はとってあるし、このラムネの瓶を作る工場で夜勤がやることといえば明日の朝から日勤が瓶を作るためのビー玉を作ることだけだ。そんなの溶鉱炉にガラスをぶっ込んで後は寝転がって待ってればいい。いつも通り八時に溶鉱炉にセットして今は予定通りの夜中の十二時。出来上がりを確認して仮眠室で寝てるだけでいいはずだった。明日は香織も休みだし帰りにちょっと気取ってモーニングサービスなんか食べて帰るのなんかもいいななんて考えていた。だけどそんな僕の幸せな予定は目の前の悔しいくらい綺麗な、そして綺麗だからよけい悔しい黄色いビー玉に打ち砕かれた。
窓から差し込む青い月明かりと、おんなじくらいしか明るくない裸電球に照らされてキラリと光る黄色いビー玉を僕たちは見下ろしていた。途方に暮れる僕と、なんとなく良いかもしれないと呑気な香織と、そして喜びに体を震わせ、まるで伝説の宝石でも見つめるかのような立原さん。こんなに感情を放っている立原さんは初めて見た。
「これ、もしかしたら立原さんがやったの?」
香織の問いに立原さんは照れくさそうに答えた。
「ええ、綺麗でしょ?」
「ええ、とっても。今までこんな色のラムネのビー玉考えもしなかったわ。でもどうして?」
「実はですね、うちの娘、小学四年生になるんですが、その娘が学校でいじめられたっていうんですよ。お前のオヤジは青いビー玉しか作れないって」
「まあ」
「だから言ってやったんですよ。じゃあそいつらに言ってやりなさい、私のお父さんはとっても綺麗な黄色いビー玉だって作れるって、もうすぐ見せてあげるからって」
「娘さん喜ぶわ」
「ええ、私自身も挑戦でしたので上手くできて嬉しいです」
立原さんは嬉しそうに照れくさそうに頭を掻いていた。しかしもちろんそれで済む話ではなかった。
「ちょっと待って下さいよ立原さん、それに香織。こんなこと勝手にして良いと思ってるんですか?」
「ダメですかね?」
「いいじゃない、とっても綺麗よ」
いつの間にか強く噛み締めていた奥歯が痛かった。
「ラムネのビー玉は青って決まっているんだ。勝手にこんな色にして何でも自分で決めなきゃ気が済まないあの工場長がなんて言うと思う?」
「それもそうね」
「やっぱりまずいですかね」
当たり前じゃないか。
「それに明日の日勤がいつもの青いビー玉がないと困るだろ」
責任問題だ。何とかしないと。まず黄色いビー玉を溶かして、それから青い色にして作り直す。朝までに間に合えば良いけど。
「でも娘に黄色いビー玉を…」
「だったら一つ持って帰れば良いでしょう。一つくらいなら大丈夫ですよ」
僕は怒鳴り付けるように立原さんを睨み付けた。それから黄色いビー玉を手に取ろうとした。
「待って、ダメよ。それじゃあその黄色いビー玉を立原さんが作ったかどうか分からないわ」
「なに言ってるんだよ、そういう問題じゃ…」
「いいから聞いて」
ふと見上げたその香織の姿は月明かりに照らされて影になり、不思議な美しさと威厳に包まれていた。僕は思わず掴んだビー玉の箱から手を放した。
「立原さん。あなたは急いで工場の裏手から不良品のガラス瓶を集めてきて溶かしてからビー玉を作るの。今度はいつもと同じ青いやつ。明日の日勤の人の為にね。それから私達はこのビー玉を使ってラムネの瓶を作るの。急げば朝までに間に合うわ」
「なんだって?」
「工場長は威張ってるだけでずぼらだから瓶にして箱に詰めてしまえば自分でチェックなんかしないわ。製品として出荷されれば立原さんの仕事が世に出るわ。さあ急いで、立原さんも早く終わらせて手伝って」
立原さんは嬉しそうに「はい」と言うと工場の裏手に走っていった。僕は訳の分からぬまま香織に袖を掴まれて工場の奥に走っていった。
作業は朝までかかったけどなんとか間に合いそうだった。今さら言っても仕方ないことだけど、こんなことをして良かったのだろうか。いや、いいはずなんてないんだけど僕には強く反対できなかった。月明かりに照らされた香織の、そのなんの躊躇もない力強い言葉に何も言うことが出来なかった。今でも後悔がないわけじゃないのなぜか満足感をも覚えていた。あとは青いビー玉がきちんとできているのを確認するだけだった。長い夜だったけどそれでともかく全てが終わる。
立原さんが溶鉱炉からビー玉を取り出した。そのときだった。ガラガラとシャッターが開いた。そこには工場長が立っていた。他の仕事はずぼらなくせに毎朝一番最初にやってきてシャッターを開けるのだ。
「おい立原。おまえどういうことだ、こんな時間にビー玉出来上がるっていうのは?」
「あっ、ええと、いえ…」
言わんこっちゃない。完全にまずかった。どういうわけか工場の皆が工場長には弱かった。まるで蛇に睨まれたカエルだった。香織も僕の側で息を飲んで黙ってしまった。僕は立原さんほど長く勤めていなかったし日頃から目立ったことはしなくてほとんど工場長とは話したことがなかったから、カエルまでにはならずに済んだけど、確かに工場長の詰問には迫力があった。これでは立原さんが全てを白状してしまうのも時間の問題だろう。
「なんとか言ったらどうだ。やましいことでもあるのか?」
「いえ、ええと…」
ダメだろうな。そう思いながら眺めていた工場長と立原さんが立つ後ろのシャッターは開け放たれていて、その向こうには新しい朝の街が見えた。工場は丘の上にあって見下ろす形でたくさんの家が見える。たぶんその家の一つ一つにそれぞれの小さな朝の風景があって、目覚まし時計に腕をのばす若いサラリーマンとか、目玉焼きを作るお母さんとか、ランドセルにノートをつめる小学生とかがいるんだろうなと、ふと考えた。気が付くと僕は立原さんの側に立ちビー玉を見下ろしていた。
「いやー、やりましたね、立原さん。素晴らしい出来です」
立原さんは「えっ」という感じで僕を見ていた。
「どうです工場長。実は昨日の夜のビー玉どうしても出来に納得いかなくて立原さんに頼み込んでもう一度二人でやり直したんですよ。見て下さい。これならどこに出しても恥ずかしくない一流品だ」
「なるほど、そう言われると素晴らしい。しかし徹夜してまでとは」
「僕たちは職人ですから。それに立原さんみたいなベテラン職人に教えてもらえるなら徹夜くらい」
「うむうむ。素晴らしいな。わしも鼻が高い」
新しい朝が無事に始まってくれそうだった。
三人で工場を出て坂道を下る。その横をランドセルを背負った小学生が何人かで楽しそうに笑いながら駆けていく。坂を下った交差点で立原さんは左へ僕たちは右へ。「ありがとう」を何度も繰り返す立原さんに僕たちは「いいですって、照れくさいな」とちょっと頭を掻いて、それからいつもより大きめに手を振って別れた。
「ああ眠いわね。でもお腹も空いたわ」
「よっし、じゃあ寝る前に喫茶店でモーニングサービス食べていこうぜ」
「やった、賛成!」
本当に、悔しいくらいに素敵な朝だった。