←前 次→

第18回3000字小説バトル Entry12

川の無い橋

 車に撥ねられて入院している元に刑事がやってきた。お巡りさんではなく。警察手帳なるものを取り出さなくても体の芯から吹き上げてくる威嚇なるものがその証。部屋の空気は一変。足音だけでも不安が過ぎる。職業柄から来る体臭なのかそれとも生まれ持ったものなのか定かではない。一対一の出来事は息苦しさを覚える。空気が徐々に薄くなる。それは錯覚に違いない。だがそれが現実のものとなり息苦しさが目の前に現れる。すると咳き込む。素早く空気を吸わなくてはという焦りが咳き込ませた。だが刑事はその様な姿を見ても顔の表情一つ変えやしない。それよりも演技だと思い込んでいるらしい。早く咳き込むのを止めろと威嚇してくる。それは言葉ではないから錯覚かもしれない。だがその様に思い込んでしまうと不安が体の中に入るのと一緒に刑事の怨念のような執念までも心を占領し始める。
 錯覚という文字が宙に浮いてくる。見えやしないのに見えてしまう。だがまだ見えないと思っているうちはいいがと心に言い聞かせる。落ち着かなくては何も悪いことなどしていないのだから。心の中はお祭騒ぎ。太鼓は鳴り響き。お囃子は大賑わい。それを止めなくてはならない。だが方法が分からない。迷っていると刑事は椅子に腰掛ける。何も言わずに腰掛ける。緊張する。体の芯が凍て付く。大きく深呼吸をする。落ち着かせるために深呼吸をもう一度する。刑事と向き合うことなど一度も無かったから緊張する。すると緊張という言葉がケラケラと笑う。何が可笑しいのか聞きたい。誰に? そう誰に聞けばいい。この不思議な世界の中で夢遊病者のようにフラフラと魂なるものが浮遊している事実を。
 刑事はその様な心の中の揺れなどお構いなく話し始める。事故のという言葉が出てきた。突然何の前触れも無く現れる。そして事故に遭遇してから何回その言葉を耳にしたことか。数えておけばよかった。何の意味も無いことだと思うがそうすればよかったと悔いる。悔いる意味など無いが目の前に居る刑事の顔を見ているとふとそんな気がしてくる。意味が何故必要なのかと思う。いつも意味を考えながら生きてきた。生きてきたとはちょっと大袈裟だが。それほどその時には事故という言葉が退屈という形容詞を付けたい衝動に駆られていた。退屈が形容詞なのか定かではない。だがその様に思えた。自信が無い。言葉を使うことに対して。すると自然の成り行きに身を任すと黙る。黙ると相手は勝手にしゃべり始める。此方の気持ちを伝えなければならない。その様に思うのだが相手の言葉は特別急行電車のように走り出してしまったらしく各駅停車しか止まらない駅に居るものだから無視される。きっと相手には悪意なんて無いのかもしれないが、特別急行だから止まらないのは当然。相手の顔をチラッと見てしまった。この様な時は見ないほうがいいのかもしれないが見てしまった。後の祭りはわざとらしく現れる。
 返事をしろと言い寄ってくる。聞いていないものだからその様に詰められても困る。困るが反発も出来ない。聞いていないのだから。すると仕方なく事故の前のことだよと。事故の前。それまで誰もその様なことは聞いて来なかったものだから驚く。驚くと言葉が吹っ飛ぶ。すると何か言わなければならないと思うが何もいえない。黙るしかない。だが先ほどは聞いていなかったから黙っていたが今度は違う。そう思うのだが、聞いていなかったことを言うほど強くは無いから何も言わない。言わずに目を合わせているには弱すぎるが視線を逸らすには方法が分からない。仕方なく目を合わせたまま居ると目の中に相手の存在自体が入ってくる。崖の上からジャンプするように飛び込んでくる。驚くと不思議なもので体が少し逃げ腰になる。それは目には見えないものなのかもしれないが頭の中では完全に動いていた。動くと捕まる。胸の中に在るに違いない拳銃とやらが。それに撃たれるかもしれない。どうしよう。逃げるつもりは無い。そういう意思表示をするにはどうしたらいいのか。迷っていると背中の辺りが痛くなる。ふと見るとベッドの上に寝ていた。それすら忘れていた。
 目から入った刑事の残存は妙に生々しく存在そのものが異物としてはっきりと意思表示するものだから手に負えやしない。体内に入った残存は体の内側から捜査し始めた。嘘は無いか犯罪の痕跡は無いかと探り出した。その様な取調べをしても何も無いのだから。だが刑事は事件を作るかもしれないという妄想に駆られる。何の根拠も無いのにその様な妄想がベールのように心を包み込む。
 すると高速道路らしきものが目の前に現れる。車など通っていない。突然大きな橋が現れる。高速道路に置かれている。横断歩道のようなものが現れる。だが横断歩道とは違うのは囲いが在るのだ。それは紛れも無く橋である。橋が道路に置かれている。もし仮に車が通ったとしたらぶつかる。それならばそれは高速道路ではないのかもしれない。それならばそれは川なのか。だが川にしては囲いが無い。岸が無いのだ。どこまでも平らな大地は広がる。橋の役目は無い。変だと思っているとどこからとも無く大勢の人が束になってやってくる。そして無言のまま橋の上を歩いている。通勤電車のように橋の上は混雑してきた。それでも橋の上を歩いている。誰も他を歩こうとしない。気が付くと人の動きが止まった。込み合ってきて進まないのである。きっちんと整列している。列を乱すものはいない。無駄な話をする奴もいない。行儀のいい列はまるで蟻の行列に思えた。
 その列を満足そうに刑事の残存は見ていた。偉そうに見ている。従うのが当然だという顔で見ていた。するとこの行列は刑事の指示なのかと思った瞬間、現実の刑事の顔が目の前まで近づいてきた。慌てて顔を動かそうとしたが蛇に睨まれた烏。身動きが取れない。それでも抵抗したい。性はジタバタし始める。地団太は頭の中だけ。体は金縛りに遭う。
 お前の母親のことだけどと、突然耳にその言葉が入ってきた。母親という言葉の意味は分かるが顔が思い浮かばない。それは誰なのか分かるのに存在そのものが消去されていた。何故という言葉を刑事に向けて発しようとしたが途中でブレーキが掛った。意味は在るのにその意味は絡み合った糸のように解れない。黙っていても埒が明かない。分かっているのに言葉がシャットアウトしてしまう。ストでも起こしたように何も言わない。それでも必死に言葉を説得した。無駄だと思っても説得する。だが言葉は表れない。ただ、頭の中は白い靄が広がるばかり。
 靄の中からボンヤリだが絵が浮き出た。視界少しずつはっきりしてくる。すると橋が現れた。川の無い橋が現れた。無意味な画像が現れた。その瞬間、真っ赤な液体が流れ出していた。橋の下を通り抜ける。勝手に川となる。真っ赤な液体は少しドロっとしていた。ボンヤリと眺めているとお母さんはどうなったのか勿論知っているよなという声が遠くの方から聞こえてきた。

←前 次→

QBOOKS