第19回3000字小説バトル Entry11
夜の風は冷たい。
幼い頃、なぜかと尋ねた母はこう答えた。
『みんなお家に帰ってしまって、ぬくもりを分けてあげる人がいないからよ』と。
そう、なのかもしれない。こんな日、こんな風に身をさらしていると、いつも僕はそれを思い出す。
みしりと、腐りかけた床板がきしむ。
ススと埃とクモの巣だらけの廃屋に、僕は足を踏み入れていた。
かつて旅館だったそこは見る影もなく、二階への階段は床とともに焼け落ちて天井まで吹き抜けている。
四方の隙間から風が吹き込むたびに、キュウキュウと耳ざわりな音が上がっていた。
今は深夜二時くらいだろうか?
仕事のときは余計な金物を身につけないので正確にはわからないけど、たぶんそれぐらいだろう。
ふと、自分の格好を思って苦笑する。
これを中学のクラスメイトが見たらどう思うだろうかと。
背に大きく五方星が縫い取られた真っ白な衣装。神社の神主のように見えるけどそれは少し違って、ゆったりとした袖や懐のアチコチに符を収めたポケットが設けられている特殊なものだ。
僕の家は古い。
祖父によれば起源は平安時代にまでさかのぼるそうだ。
そんな我が家が代々伝えてきたもの。それが陰陽術とよばれる技だった。
世の理を知り、それを正すことを使命とした退魔の一族。
普通の人から見れば今どき魔物?なんて笑ってしまうのだろうけれど、それは確かに存在していて、僕らのような人間は未だ必要とされている。
とはいえ、古代に比べれば魔物は確かに激減していて、伝説に語られるような魔物なんか皆無に等しい。それでも。
「出たね」
風の匂いが変わった。
生臭い、腐臭に満ちた瘴気に眉をひそめ振り返る。
一人の女がそこにいた。
旅館の女将か仲居だったのだろう。着物は所々が焼け焦げ、露出した肌や髪は痛々しいほどの火傷に膿んでジクジクとただれていた。
「符よ」
素早く切った九字に応え、建物の隅に張っておいた符が不可視の結界で建物を包む。これでここは何者も立ち入れぬ領域となった。
『寒かったの…』
震え声に、僕は無言のままうなずく。
『暖めて欲しかっただけなのに、みんな私を見ると逃げてしまって…』
哀しそうににごる言の葉を告げる思いを知ることはかなわない。けれど、
『泣いて、くれるのね』
我が身を蝕む符に包まれ、白煙を上げる腐りきった手をそっ握ってやる。
この瞬間だけは、いつまでたっても慣れそうにない。
『ありがとう。優しい、陰陽師さん…』
悪霊と化した魂に、符で滅される直前の数秒だけおとずれる正気。
痛いはずなのに。
苦しいはずなのに。
皆、決まって僕に礼を言う。
自分を滅ぼした僕にだ。
それが苦しくて。
滅ぶことを喜ぶ魂が哀れで。
同情など無用と祖父は僕を叱るけれど、僕には…
「優しくなんかないです。僕は…」
『いいえ…』
ボロリ。身体が砂と崩れ、幽離し浮かび上がる女性の霊。透き通るその顔は美人ではなかったけれど、優しい、微笑みを浮かべていた。
『優しいわ。だって』
幻像が薄れてゆく。
『ただ一人、変わり果てた私を抱きしめて…』
言葉もかすんでゆく。
『暖めて、くれた、んで、す、も、の…』
霊が消滅し、かき消えると同時に、役目を終えた符がハラハラと舞い落ちた。
胸中に広がる苦い、錆びの味。
いつか、慣れていくのだろうか。
こんな思いを抱かなくなってゆくのだろうか。
「ご苦労様」
廃屋を出ると、いつものように耳馴染んだ声が耳朶を打った。
「また泣かれているんですのね」
道路わきに止めた赤いRX−7にもたれたまま、スーツ姿の女性が呆れとも憂いともとれる表情を浮かべて運転席へと踵を返す。これも、いつものこと。女性の名は鈴鹿(すずか)。僕のお目付けだ。
「それでも次期当主か。っていう説教ならいらないよ」
肩をすくめ助手席へ身を滑り込ませると、鈴鹿はエンジンを始動させた。
振動に揺れる艶やかな黒髪をなんとはなしに見ていると、
「どうかされまして?」
ふいっと彼女が振り向いた。
「な、なんでもないよ」
慌てて首を振る僕に、いたずらっぽく鈴鹿が微笑む。
「ダメですよ。私は売約済みなんですから」
そうなのだ。信じられないことにこの春、鈴鹿は結婚するという。この菩薩の面と般若の心を持つ女をもらうような男の存在こそ奇跡としかいいようがない。たぶん、相手は本性を知らないのだろう。外面で選んじゃいけないという典型だねきっと。くぷぷぷぷ。
「護(まもる)様?」
ふと浮かんだ考えに思わず笑みをこぼした僕を、鈴鹿が怪訝に見ていた。
「どうかされましたか?」
「な、なんでもないよ」
言いながら、鈴鹿に踏みしだかれてる男の姿が思い浮かんでニヤニヤ笑いが止まらない。
「まさか、失礼きわまりないことをお考えになられているのではなおいでしょうね?」
鈴鹿の目が半眼になる。げげ!で、でも…だ、だめだ。そんな顔みちゃったらますます。
「あはははははは」
おなかを抱えて笑い出した僕の前で、鈴鹿の顔から笑みがスッと消える。ゾクッ。
「私が嫁入りすることが、そんなに面白いですか?」
ニッコリと満面の笑み。でも目だけは笑っていない。うわぁ!!
「ぼ、僕やっぱり歩いてかえ」
慌ててドアノブに手をかけた瞬間、猛烈な勢いで車が発進した。
「わわわ」
「ふふふふふふふ」
急加速でシートに押し付けられる中、不気味な笑い声が車中に響きだす。
おそるおそる見れば、首だけ巡らせた鈴鹿が強張った笑みをこっちに向けていた。全然前なんか見ていないのにハンドル操作は的確で、時折ドリフトすらかましている。あなたは人間ですか!?怖いよぅ。怖いよぅ。
「護さま?」
「は、はい!」
地獄の底から湧きあがるかのような声に思わず背筋が伸びる。
「乙女心は傷つきやすいんですのよ?」
コクコクコク。キツツキよりも必死に首を振る中、車体が横滑りを起こす。
「うわ!」
ひいぃぃぃぃぃ!車体はガードレールまで数ミリというきわどい間隔で右コーナーを曲がっていく。さっきからずっとこうだ。右コーナーのときだけドリフトを、ってまた、わわわわ!!
「ちょ、鈴鹿さ、ん?」
シートへ必死にしがみつきながら首を向けると、かわらずこちらに向けたままの笑みと目が合った。
「お、鬼…」
しまった。思わず。
反射的に口を押さえるものの、すでに手遅れ。笑顔のこめかみでピキと青筋が立つのを見た瞬間、僕は全てをあきらめた。
しばらくの修業は、命がけになりそうだ。
嘆息しかけて、激しい横殴りのGに僕は歯をくいしばった。