第19回3000字小説バトル Entry5
中津村から相模川へ降りる山の斜面に久昌寺はあり、その周辺にはりっぱな竹林が広がっていた。
そろそろ竹の子が旬を迎える時期とあって、寺の者をはじめ、近隣の多くの者が竹林へ入ってゆくはずだったが、今年はそうはいかなかった。
「幽霊がでるんだと。」
ミノリは縁側で足をくずし、柱に寄りかかりながら物憂げにケンタの話を聞いていた。
「斉藤んとこのじいさんが、寄り合いから酒を飲んで帰った夜、六倉坂で聞いた、ってんだ。」
ケンタは山十の家には出入り禁止になっていたが、この話がミノリの興味を引くに十分な話題であることを知っており、わざわざ忍びこんできたのだった。
ミノリは中津村一番の富農、山十家の長女で、きつい顔立ちではあるが美しく、頭の良さでは帝大に入った長男にも勝るのでは、と噂されるほどだった。
ケンタはというと、父親が興行師で派手な生活を送っていたため、ミノリも同じではあったが、14歳という年の割にはませており、世間の噂にも詳しかった。
ミノリの父、久則は横浜にまで名を知られるほど絹の商いには精通していたので、養蚕で生計をたてる者が多いこの村では、ミノリやケンタのことを鼻つまみ者ともてあましながらも、それをはっきりと口にする者はいなかった。
山十久則は、先妻であるミノリの母が早くに逝ったこともあり、ミノリには甘かったのだが、さすがにケンタのような者と悪さをするのには閉口しており、ケンタの出入りを禁じたのだった。
「坂の途中、竹林の中で声を聞いたんだってさ。うらめしげに、すすり泣く女の声だとよ。」
さらにケンタは縁側に手を付くと、ミノリのほうへ身をのりだすように、その数日前にもやはり、夜、そこを通った別の者が、女の苦しげな声を聞いていたんだ、と説明した。
ミノリは、ぼうと柱に寄りかかり、ケンタの話を聞きながら六倉坂を思い出していた。
それは急な下り坂で、大きくうねりながら、久昌寺の横をすり抜けると、相模川河川敷へと出るのだった。
(そういえば、周りは竹ばっかり、墓もたくさんあるし、昼間でも薄暗かったわね。)
そこへ子守りのスズが、その背に産まれたばかりのミノリとは母の違う妹を連れてやってきた。
「ケンタさん、あんた見つかったら怒られるわよ。」
ミノリはスズへ一瞥をくれると、竹林の幽霊の話をしてんのよ、と横柄に言った。
「ああ、知ってますよ。」
スズがそう言ってはみせたが、平静を装っている風なのにミノリは気づいた。
「スズ、あんた、今度実家に帰るそうじゃないの。」
スズは来月、宮大工の家へ嫁入りすることが決まっており、ミノリの父は新しい子守りをすでに見つけていたのだ。
「ねえ、ケンタ、久昌寺には確か若い坊主がいなかったかしら。」
ミノリはついこの間の法事を思い出した。やけに男栄えのする坊主だと思い、覚えていたのだ。
「いるよ、半原村の農家から預けられた、ってヤツだな。檀家の嫁さんたちに人気があるんだと。」
ケンタが意味ありげに笑い、ミノリはスズを目で追った。
スズ、あんたも半原村出身じゃあないか、とミノリは声をかけたが、スズは、いつの間にかミノリの目を避けるように、裏戸の方へと消えていった。
それから3日後、スズは行方がしれなくなった。半原村のスズの両親が山十家にやって来て、彼女の荷物を引き取るときには、久昌寺の若い坊主も、時を同じくしていなくなっているのがわかっていた。
数日後、ミノリは家を抜け出し、桑園を駆け抜けると一目散に六倉坂を目差した。
すでにケンタは坂の入り口におり、ミノリをみつけると手を振った。
「ミノリさんは気がついてたのかい、スズさんとボウズがここで逢引してたって。」
ミノリとケンタは竹林の中、坂を駆け下りながら息を弾ませた。
「幽霊なんて、あたし、信じないわ。女の苦しげな声、ってやつは男女の事の喘ぎ声に違いないし、すすり泣き、っていうのは分かれ話だろう、って。」
でもよ、ケンタは少し顔を赤らめながらミノリに話かけた。
「夜とはいえ、灯りを持ってたんだし、なんで二人の姿が見えなかったのかな。」
ばかね、ただでさえ竹林は暗いのよ、横になってりゃあ、あれだけ足場の悪いとこだもの、くぼみに入ってしまってわかんないわよ、とミノリが言い終えた途端、二人は竹林を抜け、眼下に相模川をのぞく高台へと出た。
「大方、ひょんとしたきっかけで知り合い、同じ村出身ってことで惹かれあうようになったんだろうけど。スズが実家から結婚するよう云われ、思い余ったんじゃあないかしら。」
ミノリは大きく息を吸った。
「でも馬鹿ね。いくら人目につかないからって夜の竹林で男女の秘め事とはね。肌にキズがつくってもんよ。」
そう言うとミノリは一気に河川敷へ走り出した。
ああ、鮎がはねてるわ、ミノリの無邪気な声にケンタはあわてて追いかけていったが、走る彼女の白い足が妙に気になって、どきどきした。
男と女のことは、女遊びのはげしい父を通して知ってはいたが、今回のスズとボウズのかけおち騒ぎは、ケンタにある種の思いを抱かせた。
そんなケンタの思いをかき消すように、ミノリは乱暴に足元の小石を拾いあげると川面に向かって投げつけ、ケンタもマネをした。
しばらくの間、ふたりはめちゃくちゃに石を投げつづけ、水がうねるのを見続けていた。