第2回チャンピオンofチャンピオン小説バトル Entry2
明治生まれの気丈な祖母が「行かないで」と泣いて私を引き止めたとき、どうしてすぐに気付いてあげられなかったのだろう。今にして思えば、少し前からその兆候はたしかにあったのに。
突然、真夏の暑いさなかに新しい仏壇を買いに出かけたり。
ご飯を食べたことを、すぐに忘れてしまったり。
大好きなプロレス中継に、全く興味を示さなくなったり。
いつかそんな日が来ることは、頭の片隅では理解していたつもりだった。けれども、それまでの祖母という人間の枠から少しずつズレてゆく姿を目の当たりにして、高校生だった私は辛すぎる現実から目をそらした。
恋に夢中になってて、ごめんね。
いつも一緒にいてあげられなくて、ごめんね。
素直な気持ちを口に出せなくて、ごめんね。
やがて祖母は働いていた両親の手には負えなくなり、あちこちの病院をたらい回しにされた挙げ句、古い老人病院に入院した。昭和初期に建てられたその建物はいつも薄暗く、強い消毒薬の匂いと、かすかに老人特有の甘ったるい汗の匂いがした。
気の強い付き添い婦さんは私が祖母を見舞うたびに、日頃の介護の愚痴を私にぶつけた。私はただ「はぁ」と、曖昧な返事を繰り返すばかりで。それを聞きながら祖母は、子供みたいに小さく背中を丸めて所在無げに泣いていた。
助けてあげられなくて、ごめんね。
生まれたときからずっと一緒にいたのに、私は祖母に何もしてあげられなかった。「そろそろ帰るね」と私が切り出すたびに祖母が見せる、あの何とも言えない寂し気な笑顔が今でも私の心の奥で小さく燻っている。
もっと、優しくしてあげれば良かった。
もっと、家事を手伝ってあげれば良かった。
もっと、言うことを聞いてあげれば良かった。
男勝りでお転婆で、いつも困らせてばかりいた私。幼稚園の送り迎えのときは、必ず鞄と帽子を放り出して逃げ回った。欲しいお菓子があると、店先で座り込んで動かなくなった。勉強もしないで遊んでばかりいた。心配かけたよね。口答えもしたよね。
ごめんね、ごめんね、ごめんね。
梅雨の終わりに祖母は白い骨になって、ビックリするくらい小さな壷の中に収められた。大好きだった柔らかい大きな耳たぶにも、もう触れなくなった。
私の手元には祖母が仕立ててくれた浴衣と、一房の白髪が残った。今年の夏祭りには娘達を連れて、久しぶりに浴衣姿で出かけてみようか。
もうすぐ祖母の命日が、また巡って来る。