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「海を私の所まで持ってきて」 病気の彼女は、ある日僕にそう言った。 僕は快く引き受け、早速海まで行った。 しかし海に行ったものの、どうやって大きな海を彼女の所へ持っていこうかと悩んだ。仕方がないので海辺に転がっている貝殻や硝子を拾って彼女の所へ行った。これで少しでもあの子が笑顔になって、元気になってくれれば、と思いながら。 「これは貝殻でしょ?」 彼女はやんわりと笑って、僕の手に海辺で拾ったものを返した。 僕は残念に思いながら再び海へ行った。カメラを手にして。 フィルムが切れるまで海の写真を撮り続けた。 「青いばかりね」 また彼女は微笑を浮かべて僕に写真を全て返してくれた。 僕はなんだか悔しくなって、写真を千切りながら海へ向かった。碧い写真の断片達はひらひらと風に流されていった。確かにあれは海ではない。 今度は録音機を使って、海の音を録り続けた。 「不思議なノイズばかりね」 またも彼女はにっこりと微笑んで、僕にテープを返してくれた。以前よりも痩せてしまったようで、その姿が僕を焦らせた。 それならば、と思い、今度はビデオカメラで海の様子を一時間ほど撮影し続けた。その足で病院へ向かう。 きっと次も彼女は喜ばないだろう。その次だって……。僕はなぜかそう思っていた。 「海はこんなに小さいの?」 僕の予想通り、彼女はふっと笑みを漏らして言った。次はどうしよう、と僕はまた考えながら病室を出ていく。 彼女と話が出来なくなる前に、僕は無理だと分かっていても、何とか海を彼女の所まで持って行こうと思った。 そこで大きなバケツを持って、海の水をいっぱい汲み、彼女の所まで持っていった。最初からこうすれば良かったのだと晴れやかな気持ちになりつつ。 「これは塩水でしょう?」 ああ、まただ。また無理だった。 もう僕はむきになって、ベッドの上で微笑んでいる彼女の手を引っ張っり、海まで連れていった。 病院から海は目と鼻の先だというのに、どうして彼女は今までここへ来ようとはしなかったのだろう? 「これが?」 潮の匂いを不思議そうに嗅ぎながら、海辺を見渡す彼女は可愛らしかった。 しかし、どうだい、と僕が言いかけたとき、彼女は泣いていた。 「これも、違うわ……」 僕が海へ彼女を持ってきてしまった。それはいけないことだったと今になって気づき、後悔する。 彼女は海の中しか知らない、人の姿をした魚だったのだから。 |