●Entry3 今こそ最期の時を打てと 文字数=2164
 西名玲
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こんな日を望んでいたわけではありませんが、こうしてあなたと迎えることができたことは、光栄に思っています。

火のまわりがはやい。やはり、昨日やつがここを訪れたときに、そこかしこに灯油でも仕込んでいったのだろう。
そんなことはわかりきっていたはずだ。やつの村を焼いたのは、他でもないこの俺なのだから。
いつか俺を殺しに来る。そんなことは、わかりきっていた。
それでも、やつを信じたかった。
俺をわかってくれると信じたかった。
幼いころに一緒に遊んだ、未来を語り合って一緒に酒を飲み交わした、あの時間がまた続く日が、いつか来ると思いたかった。
そんな明日を創れると思いたかった。

煙の中に、あなたが見えます。
背中がお淋しゅうございます。泣いているのですか?

壊すのは簡単だった。ただ突き進めばいい、踏み潰してしまえばいいのだから。
創り上げる方が、はるかに難しい。壊したモノの責任も伴うから。
壊したモノの哀しみも、怒りも、すべてを受け止めなければならないから。
俺は、壊しすぎたのだ。支配者としては、ふさわしくなかった。俺は、ただの破壊者でしかなかったのだ。
だからやつは、俺を殺しに来た。責任を果たせなかった俺は、やつに見限られたのだ。そして今、俺は、たくさんの怒りに囲まれて、炎の中にいる。
屋敷を呑み込むこの炎は、やつから俺への罰だ。

あなたはご立派です。ただ、気付くのが遅かっただけ。
少し、視野が狭かっただけ。
まわりを気遣う余裕が、少なかっただけ。

「あなた!」
崩れそうになる柱を避けながら、妻が走ってきた。
「何をしている!」
俺は怒鳴った。そうしなければ、声は燃え盛る炎の唸りに、簡単にかき消されてしまっただろう。
「逃げろと言ったろうが!」
「家の者は皆、外へ出ました。お母様や兄上様はもちろんのこと、家の使用人たちも、皆」
「おまえもだ!」
妻は、必死に俺の腕にすがる。
「あなたに死ぬお覚悟があるのなら、私も一緒に連れていってください」
俺は、妻の言葉に、目を見張った。
死ぬのだ。俺は、死ぬのだ。
俺は、刀を抜いた。ちらちらと、橙の光が刃先で遊ぶ。
「本気か」
「はい」
俺は目を閉じた。妻は黙って、俺を見ている。
「千代の命は、どんなときでも、あなたと共にあります」
そうだ。
火を見て卒倒するような女ならば、嫁になどもらわない。
「──いざ、参ろうぞ」

あなたがたのご婚礼の儀の贈り物に、あの方が私を選んでくださったのでした。
あの方は本当に、心からあなたを尊敬していたはず。それは、自らの手であなたの屋敷に火を放った今ですら、変わっていないのでは、と思います。

階段をのぼっていく。もはや、火など怖くはなかった。
妻が途中で、煙にまかれて咳き込む。俺は着物の袖を破って、妻の口にあてがってやった。
「最期に、俺を抱きしめて死ね」
だからそれまで、死なないでついてきてくれ。
足元がふらつく妻の肩を支えてやりながら、俺は、一段一段を踏みしめてのぼった。
燃え盛る屋敷の、最上階。俺はそこを、自分の墓に決めた。

何がいけなかったのでもありません。
あなたがあなたの正義を尽くした、それは誰が疑おうと、あなた自身が信じたこと。ただそれが、あの方の正義と重ならなかっただけ。
あなたの譲れない正義までは、あの方にはわからなかっただけ。
あの方の心の奥底までは、あなたにはわからなかっただけ。

最上階だ。俺は、炎に包まれた襖を、勢いよく開けた。
「おお、おまえは……」
柱時計だ。やつが、俺達の婚礼の儀に、と持ってきた、あの柱時計が俺を見ている。

私も、お供いたします。
あなたと奥方様と、ご一緒させてください。
私も、信じたい。
あなたがここへ、私のところへやってきたのは、素直に、あの方をお慕いしているからだ、と。

俺は妻と二人、柱時計の下に立った。目の前の障子に、みるみるうちに炎がつたっていく。
やつの顔が、瞼の裏に浮かぶ。笑顔も、困ったような顔も。
俺に斬りかかり、屋敷に火を放ったときの顔も。
だが、恨みはない。とても晴れた気持ちだ。
俺は、いまごろになって後悔している。ああ、もっとおまえと、話をすればよかったなぁ。

からだが疼いています。もうすぐ、二つの針が重なる。
新しい日を告げる鐘が鳴ります。

柱が折れて、屋根が崩れてくる。俺は妻をしっかりと抱き、障子を蹴り倒した。
柱時計の時を刻む鼓動が、俺の鼓動と重なる。


鐘が、鳴る。


夜風が冷たい。火照った頬に、心地が良い。月もないのに、外が明るい。


ああ、雪だ。十二月の炎の上に、末期の雪が降っている。


屋敷は、ガラガラと音をたてて崩れ去った。
火は明け方まで燃え続け、すべてを土に還した。
男が一人、ただ立ち尽くして、屋敷を最後まで見つめていた。
雪と灰まみれになった顔で、男は、静かに泣いていた。

朝の光の差す灰の山に、男は一人でのぼった。
その山の真ん中に、男が誰より信頼していた友人とその妻が、穏やかな顔で眠っていた。
そばに落ちているのは、黒焦げの柱時計だ。
男が友人に贈った、柱時計だ。
重なって十二時をさした針は、もう動かない。
ぱたぱたっと、涙が滴り落ちた。

私は、後悔などしていません。
あの方は、あなたと奥方様と一緒に、私も同じ墓へいれてくださいました。
私はもう動けないけれど、それでいいのです。
だって、あの最後の瞬間に、あなたが命じてくださったのですから。

今こそ最期の時を打てと。



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