こんな日を望んでいたわけではありませんが、こうしてあなたと迎えることができたことは、光栄に思っています。 火のまわりがはやい。やはり、昨日やつがここを訪れたときに、そこかしこに灯油でも仕込んでいったのだろう。 そんなことはわかりきっていたはずだ。やつの村を焼いたのは、他でもないこの俺なのだから。 いつか俺を殺しに来る。そんなことは、わかりきっていた。 それでも、やつを信じたかった。 俺をわかってくれると信じたかった。 幼いころに一緒に遊んだ、未来を語り合って一緒に酒を飲み交わした、あの時間がまた続く日が、いつか来ると思いたかった。 そんな明日を創れると思いたかった。 煙の中に、あなたが見えます。 背中がお淋しゅうございます。泣いているのですか? 壊すのは簡単だった。ただ突き進めばいい、踏み潰してしまえばいいのだから。 創り上げる方が、はるかに難しい。壊したモノの責任も伴うから。 壊したモノの哀しみも、怒りも、すべてを受け止めなければならないから。 俺は、壊しすぎたのだ。支配者としては、ふさわしくなかった。俺は、ただの破壊者でしかなかったのだ。 だからやつは、俺を殺しに来た。責任を果たせなかった俺は、やつに見限られたのだ。そして今、俺は、たくさんの怒りに囲まれて、炎の中にいる。 屋敷を呑み込むこの炎は、やつから俺への罰だ。 あなたはご立派です。ただ、気付くのが遅かっただけ。 少し、視野が狭かっただけ。 まわりを気遣う余裕が、少なかっただけ。 「あなた!」 崩れそうになる柱を避けながら、妻が走ってきた。 「何をしている!」 俺は怒鳴った。そうしなければ、声は燃え盛る炎の唸りに、簡単にかき消されてしまっただろう。 「逃げろと言ったろうが!」 「家の者は皆、外へ出ました。お母様や兄上様はもちろんのこと、家の使用人たちも、皆」 「おまえもだ!」 妻は、必死に俺の腕にすがる。 「あなたに死ぬお覚悟があるのなら、私も一緒に連れていってください」 俺は、妻の言葉に、目を見張った。 死ぬのだ。俺は、死ぬのだ。 俺は、刀を抜いた。ちらちらと、橙の光が刃先で遊ぶ。 「本気か」 「はい」 俺は目を閉じた。妻は黙って、俺を見ている。 「千代の命は、どんなときでも、あなたと共にあります」 そうだ。 火を見て卒倒するような女ならば、嫁になどもらわない。 「──いざ、参ろうぞ」 あなたがたのご婚礼の儀の贈り物に、あの方が私を選んでくださったのでした。 あの方は本当に、心からあなたを尊敬していたはず。それは、自らの手であなたの屋敷に火を放った今ですら、変わっていないのでは、と思います。 階段をのぼっていく。もはや、火など怖くはなかった。 妻が途中で、煙にまかれて咳き込む。俺は着物の袖を破って、妻の口にあてがってやった。 「最期に、俺を抱きしめて死ね」 だからそれまで、死なないでついてきてくれ。 足元がふらつく妻の肩を支えてやりながら、俺は、一段一段を踏みしめてのぼった。 燃え盛る屋敷の、最上階。俺はそこを、自分の墓に決めた。 何がいけなかったのでもありません。 あなたがあなたの正義を尽くした、それは誰が疑おうと、あなた自身が信じたこと。ただそれが、あの方の正義と重ならなかっただけ。 あなたの譲れない正義までは、あの方にはわからなかっただけ。 あの方の心の奥底までは、あなたにはわからなかっただけ。 最上階だ。俺は、炎に包まれた襖を、勢いよく開けた。 「おお、おまえは……」 柱時計だ。やつが、俺達の婚礼の儀に、と持ってきた、あの柱時計が俺を見ている。 私も、お供いたします。 あなたと奥方様と、ご一緒させてください。 私も、信じたい。 あなたがここへ、私のところへやってきたのは、素直に、あの方をお慕いしているからだ、と。 俺は妻と二人、柱時計の下に立った。目の前の障子に、みるみるうちに炎がつたっていく。 やつの顔が、瞼の裏に浮かぶ。笑顔も、困ったような顔も。 俺に斬りかかり、屋敷に火を放ったときの顔も。 だが、恨みはない。とても晴れた気持ちだ。 俺は、いまごろになって後悔している。ああ、もっとおまえと、話をすればよかったなぁ。 からだが疼いています。もうすぐ、二つの針が重なる。 新しい日を告げる鐘が鳴ります。 柱が折れて、屋根が崩れてくる。俺は妻をしっかりと抱き、障子を蹴り倒した。 柱時計の時を刻む鼓動が、俺の鼓動と重なる。 鐘が、鳴る。 夜風が冷たい。火照った頬に、心地が良い。月もないのに、外が明るい。 ああ、雪だ。十二月の炎の上に、末期の雪が降っている。 屋敷は、ガラガラと音をたてて崩れ去った。 火は明け方まで燃え続け、すべてを土に還した。 男が一人、ただ立ち尽くして、屋敷を最後まで見つめていた。 雪と灰まみれになった顔で、男は、静かに泣いていた。 朝の光の差す灰の山に、男は一人でのぼった。 その山の真ん中に、男が誰より信頼していた友人とその妻が、穏やかな顔で眠っていた。 そばに落ちているのは、黒焦げの柱時計だ。 男が友人に贈った、柱時計だ。 重なって十二時をさした針は、もう動かない。 ぱたぱたっと、涙が滴り落ちた。 私は、後悔などしていません。 あの方は、あなたと奥方様と一緒に、私も同じ墓へいれてくださいました。 私はもう動けないけれど、それでいいのです。 だって、あの最後の瞬間に、あなたが命じてくださったのですから。 今こそ最期の時を打てと。 |