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第8回中高生3000字小説バトル Entry6

天使は笑わない

誰も近付くことの無い、錆びたこの塔の上には羽が傷つき、空へ還ることのできなくなった銀色の天使がいるらしい。天使はどんな質問にも答えてくるという―

俺が半日掛けて塔の上まで登りあがった時にはもう陽が暮れようとしていた。手は傷つき、錆びた金属の色と匂いがこびり付いていた。俺は身を痛めてでも天使に聞きたいことがあって、ここまでやって来たのだ…。それは…俺の産まれて来た意味だった。
俺の…俺の産まれて来た意味はなんだ?不幸だらけの十六年間を生きてきて…いや、生きて来たという言葉は当てはまらないのかもしれない。俺は今では自分がもしかしたら生きてはいないんじゃないか…と思う時がある。そのために一度自分の手首を切った。その傷口は結局瘡蓋にしかならなかったが、痛みは感じる事が出来た。そうでもしないと、生きている…という感じが消えるんじゃないか…と…このまま俺はロボットみたいな存在になってしまいそうな気がしていたからだ。

「……。」
噂によるとこの塔はバブル時代に造られた物で、今はもうただの廃墟も同然だ。塔の上は屋上の様になっていた。そこには作られた意味が全くないのではないかと思われる、まるでオブジェのようなよくわからない石の突起があった。突起の高さは俺の身長をゆうに超えていて、天辺は平らでほんの少しくぼんでいる。その上に彼女はいた。それはまぎれもなく天使だった。片方の羽が散り、銀色の髪に銀色の瞳の天使だ。それを見つけた俺は改めて、この突起は彼女が座るためだけに存在しているのだとわかった。夕焼けの赤い光に銀色の髪が輝いていて、温かい風に真っ白い服をたなびかせていた。俺はそんな彼女の周りだけが俺たちの暮らしている世界とは別次元なんじゃないかと思えた。彼女はこちらに気付いたようだった。
「教えてほしい事があるんだ…!」
俺は俺に気付いても微動だにしない彼女に叫んだ。
「俺は…!」
俺が自分の心中をぶつけようとすると彼女は遮るように人差し指を自分の唇の前にかざした。
「私はあなたが私の質問に答えてくれぬ限り、あなたの質問には答えることができません。」
あまりにもあっさりと彼女が答えたので、俺は拍子抜けをしてしまった。
「何だよそれ…」
「あなたが私の質問に答えてくれぬ限り…私はあなたの質問に耳を傾けることすらできないのです…。」
「…」
俺は考えた。だが聞いてもらえなかったらここまで来た苦労が水の泡だ。
「…わかった、聞くよ…」
天使はその銀色の目で俺の眼を見つめながら言うものだから、一瞬、その瞳に吸い込まれるんじゃないかと思った。
「永遠の命を持った時…あなたはそれを何に使う?」
「…は…?」
俺は最初その質問の意味がわからなかった。
「永遠の命…」
俺は想像してみた。永遠の命…。それは古代から様々な権力者が欲した物だ。だが生きているような感触が全く無い俺にとって、それは果てしなく恐ろしい、刑罰の様に思えた。
「そんなんわかんねぇよ…。絶対にあるわけ無ぇんだから…。」
そう答えると天使の美しい顔は泣き出しそうな悲しい表情になった。
「なんでそんな事聞くんだよ?」
天使は答えた。
「私にはその永遠の命があるからです。」
「え…」
「私は羽が散ったため、天に還ることも許されず、ここから動く事もできず、眼も見えず、耳も聞こえず、話すことも出来ません…」
「何言ってんだよ!あんたは現に今俺と会話しているじゃないか!!」
「私の声は、あなたの耳に入っているものではありません。あなたは私の声を、心で感じているのです。私達は今、心で会話しているのです」
「心…?」
それは一種のテレパシーの様なものだった。彼女の声が俺の耳でなく直接頭の中に響いているのだという事には彼女が教えてくれるまで俺は気づかなかった。
「私は永遠の命を持っていながらも、夢も、希望も、名前すらないのです…。私は永遠にここにいなければならない運命…」
「…もう何十年もここで…?たった一人で…?」
「そうです。貴方のような方が来たのも、もう五十年ぶりでないかと…。」
「あんたは…それで平気なのかよ?」
「…私には何もありませんから…。」
「そんな…」
「私は泣くことも、笑うこともできません…。ですからわたしの運命がたとえ幸福であったとしても、もしくは絶望的であったとしても、それらは何の意味も持たないのです…。それでも…私は知りたい。この永遠に絶える事の無い命を、何も無い私でも何かに使えることができるのかを…!永遠に生きる事はつらくてたまらないけれど…」
「……」
銀色の天使はバサリと羽を振るわせた。茜色の沈みかけの太陽の光の中に白い羽が舞った。俺はその中にがくりと膝を付いた。

俺は…俺は何で自分の生きている意味を疑問に持ったりなんてしたんだろうか…
俺は動く事もできるし眼も見える、耳も聞こえる話す事も…笑うことも泣くことも、名前だってある…そして死ぬ事もできる…!!
俺はこんなにも何もかもを持っているというのに俺は自分自身を何も無い抜け殻のような物だと思っていたのだ…この何も無い天使はこんなにも強い意志と澄んだ心を持っているというのに…!
まるで俺の肩に俺自身の…いや、この世の人間全ての憎しみや嫉妬、プライド、競争意識、恨み…それらが全て重くのしかかるようだった。
俺が何も無い天使に会って見つけたものは、何もかもがあるのに彼女よりも果てしなく劣る自分自身と人間達の姿だ…。
この事に気付かなかった方が良かったのかもしれない…。自分がここまで愚かだったと言うことに…

周りにはまだ白い羽が舞っている。そして銀色の天使は瞬きをする事もなく未だ美しさを保っている。
「…ありがとう…気付かせてくれた君には心から感謝しているよ…そして…憎くてならない…」
ただ舞い散る彼女の羽の中で俺の中のずっと止まっていた何かが久しぶりに動いてくれた気がした…

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